寺院・ご門徒の方へ

ご本尊について

真宗門徒の生活

真宗門徒の生活に必要なご本尊については、同朋会館でもお受けいただけます。
真宗本廟奉仕の日程中には、ご本尊やお内仏(お仏壇)について学ぶ時間があります。

これまで真宗門徒のお宅では、お内仏(お仏壇)が安置され、ご本尊の前で日々お勤めをし、仏さまの教えを聞く生活が営まれてきました。
しかし、昨今の核家族化をはじめとする家族形態の変化や住宅事情の変化によって、特に実家を離れた方の家々では、お内仏が安置されることも少なくなってきたのではないでしょうか。
そこで、結婚や一人暮らしなど、さまざまな理由で実家を離れていかれるご家族の方などへ、ぜひ、ご本尊をお手渡しいただき、「ご本尊のある生活」をお勧めくださいますようお願いいたします。

ご本尊三つ折り
ご本尊

「私たちは、日々の生活の中で、さまざまな出来事に苦し み、悩み、そして迷っています。時には、「なんで私だけがこ んな目に遭わなければならないのか」と自分の思いどおりに ならないことに腹を立てたりします。
そんな私たちに、仏さまは「どんな出来事も自らを育てて くださる大切なご縁として受け止め、本当に尊いことを見失 わずに生きてほしい」と願われているのです。
「ご本尊のある生活」とは、“あなたは何を尊いこととして 生きていますか”と常に呼びかけられていく生活がはじまる ことなのです。

お内仏って?

浄土真宗の門徒は、ご本尊を安置したお仏壇を「お内仏」と呼びならわしてきました。ご本尊・阿弥陀如来は、私たちを救おうとする色も形もない真実の“はたらき”であり、その“はたらき”をお内仏をとおしていただいてきたのが真宗門徒なのです。
お内仏を安置するということは、“私たちの人生にとって、本当に大切にしなければならない尊いことは何か”と、いつも問いかけてくださる場を賜るということなのです。

阿弥陀如来って?

「阿弥陀」とは、インドの言葉を音写したもので、「アミターユス」(無量のいのち)、「アミターバ」(無量の光)のふたつの意味をもっています。また「如来」とは、「私に真理 がはたらく」ということを意味します。
木像や絵像の阿弥陀如来が、右手をあげ左手をさげて立っておられるそのお姿は、悩み苦しむ私たちを救おうという願いを表したもので、限りない智慧と慈悲を表しています。また背後にある後光・光背といわれる飾りは、阿弥陀如来の“はたらき”は全てのものを照らす光であることを表しています。
いつでも、どこでも、どんな人も、もらさず救いたいという阿弥陀如来の“はたらき” をかたちどったのが、木像や絵像のお姿なのです。

お念仏(南無阿弥陀仏)について

ご本尊の前で、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、合掌・礼拝するのは、自分の思いが叶うようにと願いごとをしたり、また、亡き人の慰霊鎮魂のためではありません。お念仏は、自分の思いを満たすための手段ではないのです。
「南無阿弥陀仏」とは、仏さま(真理に目覚めた方)からの、あなたへの呼びかけです。
苦しい時や悲しい時、自分が嫌になった時、その苦しみや悲しみをごまかさずに、悩んでいる自分を大事に生きてほしい、「本当に尊いことに気づき生きていってほしい」という深くて大きな願いをもった、仏さまからのメッセージなのです。
その願いにふれ、その願いに応えて、私も「南無阿弥陀仏」と称えるのです。

ご本尊の寸法と礼金は「ご本尊のある生活」(PDF)を御覧ください。

ページの先頭へ戻る